植物生理生態学へのデジタルデバイスの活用


生理生態学は、お金のかかる学問です

植物生理生態学は、ほかの植物生態学と比べ、非常に微細な植物の挙動を調べることを目的としています。
多くの植物の生理特性は、目で判別したり、物差しやノギスで測れるものではなく、計測するのに特殊な計測機器を必要とします。
例えば光合成の計測では、葉に空気を吹き付け、葉に触れる前と触れた後のCO2濃度差を比較しますが(触れた後の空気でCO2濃度が低くなる)、それには専用の計器が必要になります。


こうした専用の計測機器は、高いです。計測現場が野外のことが多いため、実験室内での計測が多い生理学のような、学内に据え付けられた一台を多数の研究者が共同利用、という方法もとれません。計測現場の数だけ機材が必要になることも多いです。

野外の現場は、こうした繊細な機材にとって、過酷な環境です。高温多湿に弱い機械が多いです。落としたり倒したりするような事態も発生しますが、強度の高い計測機器ばかりではありません。
そして、特に海外製の機器の場合、故障した場合の修理費は高いです。修理に時間がかかり、卒論や修論をその機械にかける学生の肝を冷やします。

生理生態学の歴史は、こうした機械の発達と、それを何とか確保する研究者の取り組みの繰り返しの中で進化しました。
水ポテンシャル(植物の乾燥の度合い)、光合成、クロロフィル蛍光、樹液流、フラックス・・・・生理特性を計測できる機械が開発され、ごく一つまみの専門家以外の研究者にも計測が可能となったとき、植物の研究は大きく進展しました。


そしてそれは、そうした機械をいかに早期に、いかに高性能の製品を、いかに多数確保できるか、が研究の出来を左右する、つまり研究費と研究成果との軍拡競争の幕開けでもありました。
この負の輪廻から逃れたいと願いながらも、研究者はその戦いに身を投じ、9-10月は科研の申請書の作成に身をやつし、翌2月に不採用通知を受けてうなだれる、嬉しくない輪廻を繰り返してきました。


注)機械の開発者も開発企業も、悪意をもって価格を釣り上げているわけではありません。
単純に、あまりに微細な現象の計測機能が高く、なおかつ野外でも壊れない耐久性を求めるために、開発・制作・維持費用が高くなってしまうんです。

輪廻からの解脱の道、それはICTの発展

実は計測器の多くは、必ずしも難しいことをしているばかりではありません。


近年、こうした現象を計測するための「部品」が販売されるようになりました。電気で動き、電気関係の信号を返すこれら機器を総称して「デジタルデバイス」と呼びましょう。秋葉原でたくさん安く売っていますし、オンラインでもいくつかのサイトで多数売られています(千石電商とか秋月とか)。


それらのセンサーからの信号は、多くの場合、複雑な電子通信ではなく、電圧として送られます。つまり、テスター(電圧計)を手に、オームの法則を理解さえすれば、これらのセンサーの大半を動かすことも、そこから発信される信号(つまりデータ)を読み取ることもできます。
とはいっても、誰が電圧を一定の間隔で測り、記録するのか、という問題も残ります。


近年、ICT教育熱の高まりを受け、電気信号を送受信できる端末(マイコンや極小コンピューターとか呼ばれます)が販売されるようになりました。
かつてはICチップだけが売られ、不親切な解説書片手に自分で抵抗やコンデンサをつながないと起動しなかったこうした端末が、今では電源を入れると同時に起動するシステムとして販売されるようになりました。
ラズベリーパイやArduinoなど、名前を聞かれた人も多いのではないでしょうか。


端末から出る電気を調節することで(タイミング、強さ、波形など)センサーを動かし、そこから出てくる電気信号を日射、温湿度などデータとして読み取り、記録する。
わずか1000円未満から、高くても7000円の端末を使うことで、好きな計測が可能になり、その計測に見合った機械を作ることもできてしまう。
もう科研費の書類作成に苦しまなくてもいいんだ(それは、許されない)。

STEM教育が必要になります

しかしデジタルデバイスの操作には技術が要ります。
端末など情報機器との対話は、プログラミングです。
上記のラズパイの場合は、Shell、Python、C、Java、スクラッチ(使えなくはないが、研究向きではない)が対応しています。
Arduinoの場合はArduino IDE(C++に類似)で操作できます。生態学者に人気のRや、数値計算で使われるFortranやMatlabは使えません。


オームの法則を理解すれば、とありましたが、実際に使うのには相応の訓練が必要です。プルアップとかI2C通信などの用語も出てきます。
通信関係の初歩的な知識も必要です。機械の操作はデジタルなので、二進法がメインとなり、桁をずらして送信など、プログラムの文面(スクリプト)を見ても不明なところが多いでしょう。


こうした、科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、数学(Mathmatics)を組み合わせた教育を、頭文字をとってSTEM教育と言います。多くの研究者にもなじみのない学問です。


「また一から新しい学問を学ばばねばならぬのか・・・」と絶望する人もいるかもしれません。
しかし、そんなに難しいことではありません。
インターネット、皆さんは日常的にホームページを見て動画をダウンロードし、人によってはホームページを作ったり動画をアップロードしています。
でも通信とかコンピュータの仕組みとか、みんながみんな知っているわけではありませんよね?


ある程度の知識と、定められた手順を踏みさえすれば、デジタルデバイスの操作は決して難しいものではありません。
やけどの怖いはんだ付けだって、誰もがしないといけない作業ではありません。感電するような危険を踏まずに計測をすることは、決して難しくはありません。


私の取り組む、デジタルデバイスを用いた生理生態学は、そうしたゆるい学問です。Googleで、最近では九州大学工学部技術部のスタッフの皆さんに訊くこともありますが、入手できる情報を集めて取り組む研究です。


ですが、教育を主導するスタッフや、学術研究を率いる人材には、ある程度の知識に通じ、経験を積んだ人が不可欠です。
安物を使うからと言って、肝心のデータに妥協は許されません。
高価な景気が必要か、安価なデバイスで代替できるのか。指導者が見極めを誤れば、研究も、そしてそれに従事する学生も共同研究者も、犠牲になります。
どうすればこうした技術を使いこなせるのか。私自身がまずは取り組んでみて、次に続く人たちの道を作っていければ幸いと考えています。


私は、こうしたデバイスを実際に使用し、生理生態学の現場に導入されるよう、研究を続けています。
いくつかの経験については、今後このページで紹介していきます(最低でも学術誌で査読を経て掲載されることで、信憑性が確認された後に、ですが)。


デジタルデバイスの導入が、生理生態学が抱えてきた問題の克服と、さらなる発展につながるよう、研究を続けています。

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